顕微新書 

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役割について

 

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なぜ会社は、多くの社員にまんべんなく同じような仕事をさせるのか。

 また昔話だ。十年くらい前は「自分ができないことを他人に頼むのは失礼」というのが世の中の常識だと思っていた。「手前ができねぇことをひとに頼むんじゃねぇ!」とよく大人に言われたものである。自分でできないから他人に頼むのでは? と思ったけど、大人が怖くて口にできなかった。

 

 そんな過去を、嫁や仕事仲間に伝えたら「そんなことを言われたことがない」というのである。僕だけなのだろうか。僕が生意気でいけ好かないガキだったから意地悪されただけなのか。ありうる。それにしたって、無茶苦茶な理論だと今でも思う。「手前でできねぇことをひとに頼むんじゃねぇ!」。できないから頼んでるのに・・・。

 

 世の中は「役割」で成立している。大人になったら何らかの役割を与えられる。その役割をまっとうすることで社会が回る。政治家がいなければ治安は保てない。農家がいなければ農作物が食べられない。医者がいなければ怪我も病気も治せない。教師がいなければ子供(あるいは国)の学力が上がらない。

 

 そして人間は、これら複数の職を兼業できない。それが人間のキャパシティだからだ。「僕が国を治めるから、君はおいしい野菜を作っておくれよ」「病気は僕が治すから、君は子供たちの教育に専念しておくれよ」。これが役割だ。

 

 最近、とある著名人が「日本は雇用流動性が悪い」と嘆いていた。人と仕事、または人と人の関係には「相性」がある。人間も仕事も多種多様で、向き不向きがある。しかし、日本は雇用流動性が悪いので相性のよい職に就きにくい。でも、それだけじゃない。会社は社員に「万能」を求める。農家に政治や手術をさせようとしている。「役割」を与えない。「自分ができないことを他人に頼むな」という考えに、なんとなく似ている。