顕微新書 

書きたいことなんてないけど習慣だから毎日書いてます

続けられるもんですね

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Twitterに投稿している「顕微新書」の話です。


 気がつくともう百回目の投稿。つまり、百日間、毎日絶え間なく、六五〇字近い文章を書いている。誰も見ちゃいない、読んじゃいないのによくやっているほうだと、僕は思っている。他人から見れば「よくやっている」というよりも「よくもやるよ、こんなこと」であろう。同感である。正直だるい。辞めたって死にやしない。でも、やると決めたからやっている。

 

 さて、こうやって無駄とも思えることを続けられるのには幾つかの理由がある。ひとつは、既に述べた通り、やると決めたからだ。じゃあ他には? 

 

 まず、期待をしていない。期待というのは、他人に対して「こうして欲しい」「こうあって欲しい」「影響を受けてほしい」「褒めてほしい」という願望だ。この「顕微新書」を始めたころはそんな期待・願望も少なからずあったが、もう一切ない。でも、人間というのは、期待がなくても、そしてたとえ無駄なことであっても、ある程度は続けられるものなのだな、ということがわかった。それがわかっただけでも、めっけもんである。

 

 そして辞められない最大の理由は、辞めるのが怖いからだろう。そもそも三日坊主な自分が何でもいいからとにかく一年続けてみようと思って始めたのがこの顕微新書だ。辞めてしまったら、「続けられない人間」に逆戻り、という脅迫観念がある。自分で自分を脅している。

「ここで辞めたら、お前はもう一生何も続けられない人間だ、おい何とか言ってみろよ」。

 

 やめられない・とまらない、というフレーズがある。いくら嫌いな食べ物でも、背中に拳銃を突き付けられていたら、食べることをやめられないしとまることもできない。そんな感じ。

 

 
この百日間で、僅かながら掴んだものはある。残り二六五回。だましだまし書いていく所存。

 

【追記】

このブログの読者になって頂いた方が、いつのまにか2名いました。ありがとうございます。