顕微新書 

書きたいことなんてないけど習慣だから毎日書いてます

不思議な文化

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悩むだけ損なことで悩んで損する人が多い変な文化。


 死んだ後の「自分」について気にする人は、たくさんいる。例えば、「俺の葬式は盛大にやってくれ」だとか、「火葬の時は俺が大事にしていたものと一緒に焼いてくれ」だとか、「俺が死んだらHDDの中身は頼んだぞ」だとか。これは、僕がHDDの中身を誰に見られてもいい状態にしているから言っているのではない。

 

 自分が死んだら、「死んだ後の自分を気にする自分」は、もうどこにもいないのだ。気にするだけ杞憂だと思うのだが、多くの人は死後の自分を想像して、いちいち気にしてしまうのである。

 

 仏教には「輪廻転生」という思想がある。これは、生物が死んだ後、身体から離脱した魂が、他の生物に宿るというものだ。要は「生まれ変わり」である。輪廻転生とは、「前世の生き方で後世のありかたが決まるのだから、なるべく悪い行いはしないようにしましょう」というアイディアである。こういった死後のことを考える宗教観が、日本人にとって根強い。自分の死後を気にしてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。

 

 死後とは関係ないが、「土下座」も不思議な文化だ。行為とて見れば「正座の状態で頭を地面につけ、態勢を低くする」だけである。その様が「支配」「屈辱」の記号になっている。

 

 もし「土下座したら一万円をくれてやる」と言われたら、みなさんどうするだろうか。僕だったら躊躇なく土下座する。だって、土下座するだけで一万円が貰えるのだ。文字通り、痛くも痒くもないはずだ。土下座を要求した相手が「俺のほうが偉い、身分が上だ」と思えるのなら、そう思わせておけばいいし、僕はと言えばこれといった屈辱も感じずに一万円がもらえてしまうので、相手も僕も得をするのだから、こんなに微笑ましいこともない。簡単なアルバイトだ。