顕微新書 

書きたいことなんてないけど習慣だから毎日書いてます

日記16

・久しぶりの更新

 

・今は漫画を描いている。否、描いていない。漫画のシナリオを考えている。

・シナリオ作成は「これを俺は買いたいか」で作る。買いたいものを作る。これが基準。

 

・最近気がついたこと。というか、昔から薄々気づいてはいたが最近ハッキリ意識していること。俺は「悩む姿=かっこいい」と思っている。顎に手を当てたり、頭をかかえたり、貧乏ゆすりをしたりする。このとき、この俺は俺の姿を、俺の外側の目線で、三人称視点で見ている。そして「かっこいい・・・」と思っている。この間、実は何も考えていないのである。大切なのは、考えていないことに気づき、即座に切り替えること。おっと、あぶないあぶない、俺に見とれて時間を無駄にするところだった。そうやって停滞を遮断する。

・考えているようで、まったく考えていない、ということはよくある。考える対象が目の前にある。目の前にある文字や、物の名前を頭の中で反芻する。反芻して、考えた気になっている。そう言う時も、やっぱり同じで、いかんいかん、前に進まなくてはと、空回りの歯車を、ふたたび嚙みあわせるのである。

 

・ぐんぐんと、仕事を進めれば進めるほど、楽しくなってくることがある。それは別に、仕事が終わりに近づいているから、とかではなく、やりごたえがあるからである。やりごたえとは、自転車で言えばペダルを踏みこむ行為であり、ギアを入れて、高いトルクでぐいぐい進むこともあれば、高速回転でスイスイ進むこともある。それに自転車がこたえてくれる。そういうことである。考えている状態とは、重くて強い思考・軽快な思考、それぞれあるが、ともかく自転車が前に進んでくれている状態である。一方、考えていない、つまり単に感情のまま何かを思ってるだけであったり、イメージしてるだけでは、ギアがはまっておらず、空回りしている状態であるから、前にも進まない。パッとしたひらめきとか、なんらかのきっかけでギアがカチャン、とはまってくれることもあるが、期待しないほうがいい。それよりかは、目の前の景色が変わっていないことにいち早く気づき、さっさと自分でギアを入れなおしてやることだ。

 

・昨日、コロナワクチンを接種した。モデルナ製である。噂通り、接種の翌日には腕がはれ、筋肉痛のように痛んだが、それだけである。そんなことより、自分の身体に、人為的に何かをされて(もちろん合意の上だが)、その影響が解りやすく現れる、そっちのほうがはるかに恐怖を感じるのであった。考えてみれば、例えばインフルエンザの予防接種というのは副反応が出にくい。接種したら、かかりにくくなるだけであり、変化がない。解熱剤だって、飲んだから熱が下がったのか、それとも自然治癒なのか、わからない。だから、注射をして腕が痛む、つまり、俺の大事な身体に、明らかな原因があって痛みが発生している、その体験があまりに少ないので、怖いのである。普通、解らないほうが怖いはずなのに、わかる方が怖いっていうのも、なんだか不思議である。