顕微新書 

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髪の毛の特殊性

 

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ヘアメイクという自由。


 今日は髪の毛を切った。僕の担当の美容師曰く「おれさん、うちの店に来るの四か月ぶりだね」とのこと。つまり僕は、四か月もの間、髪を伸ばしっぱなしにしていたのだ。僕の感覚としては、二か月前に髪の毛を切ったつもりだった。なんか得したな、という気分を味わう反面、自分の記憶力の無さ、もしくは時間感覚の欠如に、いささかの呆れも感じている。

 

 「髪の毛って、人間の身体の中でも特殊な部位だと思うんだよね。自由なんだよ。それって、けっこう凄いことで。」

 

 こう言ったのは、先述の担当美容師だ。たしかに、他の身体の部位を変化させることは容易ではない。その最たる例が脂肪で、一度ついた脂肪は簡単には落ちない。脂肪は体型を変え、見た目の印象に大きな影響を与える。それだけに、自分の思い通りにならないという不自由さが、多大なストレスとなる。対して、髪の毛は切り離しが容易である。この自由さが、時に「髪を切る=気分転換」と語られる所以なのかもしれない。僕も今日髪の毛を切ったことで、気分がスッキリしている。

 

 「簡単に増える」という点では、脂肪も髪の毛も同じである。でも「すぐに切り離すことができて、且つデザインまで可能」という点が違う。それこそが、身体としての髪の毛の特殊性である。

 

 この条件には爪も当てはまる。しかし、髪の毛とは少し毛色が違う(ややこしい表現だ)。「ネイル」は爪のデザインと言えるが、爪の形を変えているわけではなく、どちらかというと顔のメイクに近い。服を着ることとも類似する。

 

 「髪の毛の特殊性」とは、髪の毛という身体「そのもの」として「容易に」形を変えることができる、ということだ。ヘアメイクにダイエットも美容整形もいらない。そういうことだ。