顕微新書 

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子供しい人間

 

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槍ヶ岳の朝

 人間は基本的に、わからないことを恐れる。わからないことを知ろうとするのは、エネルギーを要する。自らエネルギーを擦り減らすことに恐れる。要するに、生存本能だ。それが、「新しいことに手を出すのが面倒くさい」という心理である。

 

 興味がなくても、新しいことを覚えなければいけない状況というのは、よほどの好奇心モンスターでない限り、誰でも体験するはずである。心当たりがないだろうか。そう、学校教育が、その最たる例だ。

 

 人間の興味の対象なんて、その人間の数だけあり、千差万別と言える。だけど、みんな等しく同じ教育を受ける。人によっては、興味がないから、授業の内容を覚えられない、という経験をする。必然的に成績下位になり「僕は勉強ができない人間なんだ」と落ち込むことになる。

 

 そうやって、もの覚えが悪い自分を自覚することが怖くなり、新しいものを拒むようになる。また、古い価値観に拘り続けることになる。なにしろ、古い価値観でも生きてこられたのだ。

 

 大人になっても、精神年齢が低い人間というのは、たくさんいる。そういう人は、実年齢はいい歳なのに、心が子供のままであることが恥ずかしいと感じている。まわりの人間は、聞き分けのいい大人ばかりだ。そんな人間に囲まれているから、子どもの部分をさらけだすことに抵抗がある。だから、子供の特徴である「素直さ」を出すことができずにいる。

 

 しかし、その素直さをずっと抱え込んでいたからこそ、子どものまま大人になったとも言える。聞き分けのいい大人なんて、文字通り「大人しく」言うことに従う「省エネ」に過ぎない。

 

 案外、「自分はまだ子どもなのだから」と開き直ってみると、素直になれるものだ。