顕微新書 

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ジュラシックパーク

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思考停止で観てもおもしろい映画。

 二歳上の兄貴(長男)は、小さいころから映画が好きだった。長時間ジーッと何かを見ているのが苦手だった僕は、兄貴がレンタルしてきた洋画を断片的に眺めるだけで、例えば「マトリックスで印象的だったシーンは?」と聞かれたら、「なんか道着を着た外人二人が闘っているところ」と答えはできるものの、なぜその外人二人が闘っていたのかは謎だった。とにかく、映画は苦手だったのだ。

 

 それが大人になってから、「なんであの外人二人は闘っていたのだ・・・?」と急に気になり始めた。それをかわきりに、今まで断片的な記憶にとどまっていた映画のワンシーンの意味が知りたくなって、子供のころの時間を取り戻すかのように映画を観ているのである。

 

 その第一弾が「ジュラシックパーク」であった(マトリックスじゃないんかーい)。

 

 僕の記憶では「人間がプテラノドンに連れていかれる」くらいの認識しかなかった(しかもそれは恐らくジュラシックパークⅢのシーンである、今回視聴したのは初代ジュラシックパーク)。

 

 「ジュラシックパーク」はザ・スピルバーグなザ・エンタメ映画で、これは今の子供が観てもおもしろいだろうな、と思えるほど色褪せていなかった(子供の頃の僕はほとんど興味を示さなかったわけだけれど)。

 

 皮肉にもティラノサウルスに助けられる、というラストがナイスすぎる。ティラノサウルスといえば恐竜の中では王道。最初から最後までジュラシックパークジュラシックパークたらしめていたのはティラノサウルスであった。

 

 欲を言えば「恐竜が人間界を生きることによってどう変化するか」という、数学者が言っていたカオス理論云々について掘り下げてほしい。