顕微新書 

書きたいことなんてないけど習慣だから毎日書いてます

正しさだけが正しさじゃない

 

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正しさが全てじゃない。


 僕の知人に、「過去のことをよく覚えていない」という男がいる。彼曰く、記憶喪失とかそういうことではなくて、過去の記憶を「あて」にしていないのだという。

 

 彼はこう語る。たぶん、記憶違いなんかではなくて、自分の身に起こった、自分が覚えている過去の出来事は事実なのだろうけれど、それを事実と言い切れる証拠がない限り、自信をもって「事実です」とは言えないから、それはつまり「よく覚えていない」ということに等しいのだ、と。

 

 彼の考え方の根本には「正しさとは何か」みたいなテーマがあって、世の中に「絶対に正しいもの」が、そう多くはないということに、彼は薄々気がついているのだ、と想像する。だから、写真や動画ではない、なんの記録もしていない、形もない、自分の記憶を「あて」にしない。

 

 彼は子供時代に、理由もハッキリしない、理不尽とも思えるようなことで大人から叱られていた。「正しいのは常に大人で、子供が思っていること、考えていることのほとんどは間違いなのだ」と思っていた。でも違った。彼と一緒になって叱られていた同年代の子供たちは次第に、まるでクイズをすらすらと解くかのように、大人の求める答えを言い当てるようになった。しかし自分にはそれができない。「あぁ、もうこれは僕がおかしいということで間違いないのだ」。やがて、過去の記憶すらも完全に正しいものではない、と感じるようになった。そんな気がするのだと、彼は言う。

 

 つい先日読んだ本の内容も、一昨日食べた夕飯のメニューも、「絶対にこうでした」と言い切れない。でも、彼には不自由がない。そもそも言い切る必要がない。大事なことはメモすればいい。

 

 「なんでもハッキリさせようなんて窮屈だ」。彼を見ていた僕は、そんなことを想ったのだった。