息を売る
時代の転換期には空気が売れるらしい。
いったい何の話か。
先日のテレビニュースでは、去る平成と来る令和の特集を組んでいた。というか、もう連日、その話題で持ちきりである。疲れるくらいだ。盛り上がるのはけっこうなことだけれど、たかが元号が改正になるというだけの話だ。まぁでも、平和な証拠である。
その中でも、ひときわ目を引いた(ように感じる)ニュースは、「平成の空気を缶詰にして販売する」というものだった。「平成の空気」といっても、「空気を読む」的な状況把握的な空気のことをいっているのではない。窒素・酸素・二酸化炭素からなっている、あの空気である。それを缶詰にして売る。ちょっと何を言っているかわからない。
「それはもう、中身のない缶詰では?」
そんなごもっともな発言もタブーとしてはばかられそうな、そんな空気(人々の意識)が、令和を前にして流れ始めている。さっきも言った通り、ただ元号が改正になるだけなのだ。国が一気に大きく動くことはない。それでも、いやだからこそ、もしこの缶詰が売れる(売れている)のであれば、それはもう日本という国はとてつもなく、呆れるほど平和な国だということだ。空気が売れることが平和の象徴、というのは、なんだか間抜けな気もするけれど。
しかし、いい商売だと思う。いっそ、人気アーティストやアイドルの吐く息なんかも缶詰にしてみてはどうか。例えば、握手会やサイン会ならぬ、缶詰会。信頼性を担保するために、ファンの目の前で缶に息を詰める。なんならその缶にサインでもすればいい。それを直接手渡す。あとはファンにゆだねる。吸うもよし、保管するもよし。良い値段で売れるはずだ。