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【ネタバレ有】バード・ボックスについて(つづき)

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バードです・・・。

 ネットフリックスオリジナル映画「バード・ボックス」を、エンタメ的に観ればおもしろくない、という生意気な感想を述べた。ただ、それだけに終始するのも大人げない。あえて、あるいは無理矢理、おもしろさを見つけてみようと思う。なお、本作の「テーマ」の考察については、ググれば溢れるほど出てくるのでそちらをどうぞ。

 

 本作の軸である、最後の最後まで正体不明の「何か」の役割とは、いわゆる「終末モノ」に該当するであろう本映画に類似する、例えばゾンビモノで言うところの「感染源」「ウイルス」に近い。「何か」を見た者はウイルスに支配されるかのように自害を始める。一方では、実は自害しない者もいて、その対象となるのが「狂った人間」であり、自害どころか「何か」を見ることを他者に勧めてくる。まるで「何か」に従属し仕えて、上手く死から逃れるような「合理性」を感じさせる。「何か」は人間に直接手を下すわけではなく、人間を「自害する者」「受け入れる者」に選別するだけである(そこが「エンタメ的におもしろくない」ポイントでもある)。多くの批評ブログでは、「バード・ボックス」つまり「何か」が人間を建物という「鳥籠(とりかご)」に追いやる、と考察しているが、鳥籠の外で飄々と生きている人間もいる。

 

 まるで「理性か本能か」「人間的か動物的か」を際立たせるようなこの設定は、単にストーリーの加速装置なのか、何らかのメッセージが込められているのか、はたまた他の理由があるのか、そもそも理由などないのか、それはわからない。

 

 ただ、あえてこじつけで、無理矢理メッセージを読みとるとするならば、割と便利で合理的な現代社会においてこそ、理性は失われがちでヤバいよねという危険視、つまり、この映画を楽しめない奴はヤバい・・・ということなのかもしれない。