顕微新書 

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動画の介護性について

 

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スクラップアンドビルド

 最近は動画コンテンツにかかりきりである。読書もなおざりにしている。動画がおもしろすぎるからというよりは、動画が楽すぎるからだろう。とても楽なコンテンツだ。ちょっとよろしくないな、と思っているところ。

 

 読書界隈でよく耳にする「読書=能動的行為」という考え方。まったくその通りで、読書とは「文字(デジタル)→イメージ(アナログ)への変換」と考えることができる。不自然から自然へ。その変換行為が「能動的」といわれる所以の一つだ。だから昔は、「漫画を読むとバカになるわよ」と母親は子どもを叱ったのかもしれない。無論、漫画を読んでもバカにはならない。活字のような能動性に欠ける、ということだ。

 

 漫画よりも危険視したほうがいいのが「動画」だろう。先述した「デジタル→アナログ」「不自然→自然」の変換とは、端的に言えば「頭を働かせること」である。漫画には絵があるから直観的であり、活字よりも補助的で内容が理解しやすい。では、動画はどうか。動画は、漫画の絵が動く、と解釈できる。それは、より直観的で、補助性を超えた「介護性」といえる。

 

 つまり、人間の目で見えているものはすべて動いているから動画と同義であり、よってスマホやパソコン、映画のスクリーンに映っているものは「自分の目でみているそれそのもの」に近い。活字・漫画よりも、動画が一番「楽なコンテンツ」ということだ。

 

 想像してほしい。自分の目で何かを見るために思考は必要ないはずだ。考えなくても、目には何かしらが映っている。つまり、「不自然→自然」ではなくダイレクトに「自然」であり、思考がいらない=頭(脳)を働かせないということ。だから、動画の観過ぎはよろしくない、という結論だ。