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QUOカードpayの誕生

 

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テレカに次いでクオカードもなくなるのか。

 一瞬、見間違いかと思った。QUOカードpay(以下、便宜を図るためにクオカードペイ)の登場についてだ。クオカードとは、もはや説明不要のギフトカードだが、それが電子化されたサービスだ。もはやカードですらないが、ギフトという特性は受け継がれている。

 

 このクオカードペイは「電子版クオカード」と呼ぶことができ、アプリは必要なく、プレゼントしたい相手にURLを送付するだけでいい(アプリは存在する)。貰ったクオカードを使用するには送付されたURLを開き、バーコード画面を店頭で見せるだけ。従来の「モノのクオカード」と同様に、現金との併用で使い切りができるという点も、一応特徴としてあげることができる。

 

 「モノのクオカード」は、懸賞の賞品として広く用いられ、また卒業などのお祝いのシーンで、オリジナルデザインのクオカード作ることができる。その点で人気を博していた。実際、僕も色んなデザインのクオカードを集めていて、今も使わずに保存している。しかしこの矛盾、つまり「お金なのに使わないでおくことで保存される価値」が、今回のクオカードペイの登場と関係しているのかもしれない。

 

 というのも、クオカードペイにはアプリが存在し、アプリを使用することでクオカードの券面、つまり「モノのクオカード」と同じようなデザインを保存することができるという、一方では合理的(先述した矛盾の解消)であり、他方ではこれまた矛盾的(券面の存在意味は? ソシャゲ的ゲーム要素として捉えるならまだしも、本当に券面に価値があるのか?)ともとれる機能が備わっている。この価値を決めるは僕ではない。ただ流行るとすれば、少し憂いてしまう。モノの消失と、そこから伺える合理性を求める余裕のなさに。