顕微新書 

書きたいことなんてないけど習慣だから毎日書いてます

悲観と楽観

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ジェットコースターのような心は、耐えられないな、きっと。

 本屋が好きた。でも、少し疲れる。本屋は僕にとって、悲観と楽観をいっぺんに感じさせる場所だからだ。そのギャップに、少し疲れを感じる。

 

 ジュンク堂の新刊コーナーが好きだ。新刊が一堂に並んでいる。そこから、感じの良いエッセイや新書を探して、目次やプロローグ、おもしろそうな項を読んでみる。内容はもちろん、語感・語彙・文章のリズムを感じながら、「僕もこんな文章を書いてみたい」と憧れを抱くのである。そんな楽観をする。

 

 そうして、僕は今こうして文章を書いているのだが、そうそう良い文章など書けない。もちろん、良い文章を決めるのは他人なのだけれど、数か月前の僕の文章を、主観の薄れた今の僕が読んでみても、お世辞にも良い文章とは言えない。そうして楽観から悲観へと落ちる。そういう経験をしていくたびに、ジュンク堂の新刊コーナーで、エッセイや新書を眺めている時点で、ぼくは既に悲観を始めているのだ。

 

 この「僕もいい文章を書きたい(きっと書ける)」という楽観と、「やっぱ簡単じゃないな」という悲観の、この繰り返しが疲れる。とは言っても、人生とは大体こんなものである。大小はあれど、サインカーブのように上がっては下がっての心情の運動と、それに伴って生じる重力・位置エネルギーに付き合わされる嵌めになっている。人生とは大抵、そう決まっている。

 

 
だったら、悲観したまま直線を描くよう努めた方が良いのかと言えば、もちろんそうではない。「憧れ」という楽観があるからこそ、人は前に進もうとする。ただ、あまりに楽観して高いところに上りすぎると、その分の位置エネルギーが大きくなり、心の負担も増えてしまう。「悲観:楽観」の割合は「8:2」で丁度いい気がしている。